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フラワーデモ

 Akiko Kubo

私は、昨年はじめて「デモ」と称される活動に参加しました。「フラワーデモ」という性暴力に関する刑法の改正と、ひろく世論を変えていくためのデモです。

参加のきっかけ

昨年3月、性暴力の裁判で立て続けに出た無罪判決に、かなり衝撃を受けました。今、2019年にもなって無罪判決という自国の司法がおかしさに腹が立ちました。また、これは私のようないい大人が今まで何もしてこなかった結果では、という思いに到り、このままにしてはおけないと強く感じました。

その後、フラワーデモの存在を知りました。たしか東京新聞の記事だったと思います。

もともとは「デモ参加」自体に抵抗があった

私は今まで、デモに参加したことがありませんでした。

正直「自分がデモに参加すること」自体に多少のためらいがあり、それはどうしてか自分でよくわからなかったのですが、

・過去日本で行われたデモについて、それほど知らなかったし、よい印象がなかった。

・育った家庭内では、政治に関する話も、デモについても話したことがなかった。

・デモの現場にすごくアグレッシブな人たちがいたとして、その人たちと一緒にされたら嫌だ。

・そこまで意見が定まっていない。

・デモ以外にも自分の意見を言う方法はある。

あたりが理由だった気がします。例えばアメリカでは「マーチ」と呼ばれる市民のアクションが普通に行われるのは聞いていましたし、そんなに気負う必要なく、もっと気軽に参加したらいいのかな?という思いもありつつ、とにかく今まで参加したことがありませんでした。

でもやっぱり、参加してみた

はじめは、参加してみようかな、どうしようかな…と迷っていました。ただ、開催場所が事務所から遠いわけでもなく、なのに参加しなかったら「見て見ぬ振り」や「あきらかに問題があるのに、問題がないというスタンス」と同じでは、という思いもありました。

その場に集い、お話を伺う

実際参加してみると、開催時間に合わせてその場に集合したら、主催の方のスピーチの後、参加者でなにかスピーチしたい方がいらっしゃれば、みんなでそのお話を伺う、という流れでした。何度か参加する中で、私はスピーチする側に立つことはなかったので、一度も言葉を発することはなく、お話を伺っていました。デモによって違うと思いますが、みんなでスローガンを口にする、といった行動はありませんでした。

はじめから終わりまでいなくても、自分の好きなときに終了して大丈夫、と主催者の方が言ってくれるのも、大変心強いことでした。お話を伺っていると、改めてこのままはいけないと思うと同時に、気持ちを翌日まで引きずることがあったので、私はある程度の時間で失礼するようにしていました。

世の中の変化を感じられた

今月になって、昨年3月の有罪判決の二審の判決があり、逆転無罪となりました。フラワーデモのことを取り上げている報道もあり、私はただその場で参加していただけですが、嬉しかった。

意見を表明する方法はいろいろあって、デモの形もたぶんいろいろあって、どれがいい悪いではまったくないですし、私はあのスタイルのデモだったから、はじめて参加して、参加し続けられたのかもしれません。

ただ、たとえ雄弁に語れなくても、自分の意思を表明することはできる。その方法は定まっていなくていいし、突然はじめてもいい。情報を収集し続けて、考えて、けれど人より吸収のスピードが遅いかもしれないし、途中で考えが変わることもあるかもしれません。でも、いつまでたっても「これが自分の最終で最良の意見」なんていうものは出せないし、出せると思っていたら危険だと思います。わずかな行動でもしたほうが、知らないふりをして生きるよりずっといい、と思いながら日々を過ごしています。